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最高裁判例「オンラインショッピングと売上税」(2)

前回のポスティングで最高裁判所の判決「South Dakota v. Wayfair」に関して書き始めたけど、例によって米国の法律は複雑で、思ったより長くなってしまい、今回はその後半。

前回のポスティングで「Nexus」の話しに触れたけど、これは州による法的管轄権の行使可否を判断する基準のことで、連邦憲法のDue Process条項とかを拠り所に判断され、税金だけではなく、広範な法律適用時に重大な検討事項となる。例えば、民事裁判をどこの州で起こすことができるか、とか。自分に有利な思想の判事が多数を占めている特定の管轄区の裁判所に提訴したくても、被告人がその管轄区に何の関係も持たない場合、どこまでそれが認められるのか、というような問題。逆にこのようなForum Shoppingは裁判の戦略策定時の大きなポイントなんだけど。Civil ProcedureのPersonal JurisdictionとかSubject Matter Jurisdictionの問題で、米国でLaw School行ったり、Bar Exam受けたことある人にとっては、Evidenceと並んで気持ちが暗くなる科目のひとつだったんでは?Nexusがあるかどうかの検討は、州の法人税に関しても頻繁に行われるけど、同じ「Nexus」という用語を使っていても、その判断基準は売上税に対するケースと同じではない。

売上税に関して、今回の判決が出るまでは、販売者による売上税徴収義務は州内に「物理的な存在」を持つ納税者に対してのみ行使できる、というものだった。これは最高裁判所による1992年のランドマークケース「Quill Corp. v. North Dakota」の判例に基づく。今回その判例を覆したことになるけど、前回のポスティングの冒頭で触れた通り、先例拘束力の原則に基づく米国ではかなりの英断。ちなみに自分より上位にある裁判所による判例を覆すことは認められないので、最高裁判所の判例を覆すことができるのは最高裁判所自らのみということになる。

最高裁判所が下すケースの数と照らし合わせて見ると、Stare Decisisを踏襲せずに自らのケースを覆した件数は極めて少ない。大概、今回のケースのように元々の判断からかなりの年月が経過し、社会的な背景、状況が変わったことを受けての苦渋の判断というようなものが多い。米国は「法の支配」の国なので、判例は基本的に変わらないようにしないと法律そのものの信憑性が低下してしまう中での難しい判断だろう。

例えば、1905年に最高裁判所が下した「Lochnerケース」。パン焼きの職人さんの週当たりの労働時間を60時間までと制限したNY州労働法に対して、契約の自由、雇用の自由を侵害しているとして憲法違反とした判例だ。この最高裁判所の判例は、その後の州政府による労働法制定時の裁量を大きく制限する。例えば、1923年には、女性に対する最低賃金を保障したDCの労働法もLochnerケースを踏襲して違憲判断が下されている。

この二つの判例の法的な趣旨は全く同じ。すなわち、州が個人の労働契約に口を出すのは、雇う側、雇われる側双方に連邦憲法上保障されている自由を奪うというものだ。でも、その適用対象次第で受ける印象はチョッと異なる気がする。パン焼き職人の労働時間を制限してはいけません、と言われると、なるほど、パンを焼くのが3度の食事より好きな人に60時間超えてパンを焼いてはいけません、なんてことは国とか州に口出しされる筋合いはないよね、って思えるかもしれないけど、女性に最低賃金を規定してはいけません、って言われると、なんとなく「そうなの?」って感じの反応じゃないだろうか。

まあ、ともかく時は流れて1937年。ホテル勤務のメードさんが提訴して何と最高裁判所まで行った「West Coast Hotel v. Parrish」ケース。最高裁判所はLochner判決を覆し、最低賃金を保障するワシントン州労働法を容認している。「契約の自由は絶対的なものではなく、労働者の健康や安全を保障する目的の州法は憲法違反ではない」という趣旨に時代の流れと共に移り変わっていった。最高裁判所は上告されてくるケースの極一部を自らの裁量で取り上げるかどうか決めることが出来る点は以前も触れたけど、判例を覆す必要性を感じ始めると、それを実行する、または過去の判例を引き続き踏襲するのであればその今日における正当性を表明するのに適切なケースを選択することとなり、West Coast Hotelにしても今回のWayfairにしても、最高裁判所がこれらのケースを取り上げているのはもちろん偶然ではない。

で、今回の、「South Dakota v. Wayfair」で「Quill Corp. v. North Dakota」判例を覆すに至った背景にはもちろん経済、商取引、テクノロジーの在り方が1992年と今では全く異なるという事実関係がある。1992年当時の争点はメールオーダー等、限られた取引に関するものだ。1992年と言えばGoogleが設立される6年前。Michael Lewis (「Liar’s PokerやBig Shortの著者」)による「The New New Thing」でも取り上げられたJim Clarkのモザイク(Netscape)だって登場したのは1994年頃だ。この頃、アマゾンもオンラインの本屋として登場している。

グロサリーショッピングのオンラインデリバリーの「はしり」と言えば、何と言ってもWebvan。そう言えばあってよね!って思い出してくれる方も米国、特に西海岸辺りには結構いるんじゃないかと思うけど、1996年に設立され、時間指定のデリバリー、スーパーにあるような多くの品揃え、というチョッと考えただけで巨額の設備投資が必要となるビジネスモデルだった。カリフォルニアではニッチ的にチョッと流行っていて実際に利用したこともあるけど、時代の先を行き過ぎていた観は否めず、10都市限定とは言え、需要が投資に追いつかない状況で2001年には更生法適用となった。実はこのWebvan、実は何と現在のAmazonFreshに受け継がれている。AmazonFreshの経営陣にはWebvan出身者が複数いるし、テクノロジー、ビジネスモデルもWebvanから取り込んだものも多い。さらにWebvan.Comというドメインは現在ではアマゾンが所有しているそうだ。

このようにWebvan自体は巨額の資金を吸い上げた挙句に結局倒産しているが、VentureとかIPOというリスクマネーをインフラに投資した訳だから、国の借金が残ったり納税者のお金を使うことなくインフラやノウハウはその後に残る訳で、この頃のDot.Comバブル時代の大胆な投資はなんだかんだその後のハイテク産業成長の基礎を築いているような気がする。

という訳で、1992年にはオンラインショッピングという概念すら存在しなかったことがDot.Com系の沿革を時間軸で追うと良く分かる。今日では、電子商取引が定着し、最高裁判所自らが「Quillは適切な判断ではなく過ちであったと言える」とまで言っている。でも、当時はまさか、全ての日常品をAmazon Primeとかで2日間待てば郵送料ナシで自宅までデリバーされるような時代が来るとはさすがの賢者揃いの最高裁判所判事も含めて誰も予見できなかった訳で、Quillの判決は当時としては合理的で仕方がないこと。今から見れば「不適切」な判断と映るかもしれないけど、歴史上の出来事全て、後から今日のスタンダードで判断するのは良くない。

実務的にコンプライアンスできるのかという現実的な側面から見ると、テクノロジー進化が大きな役割を果たしていると言えるだろう。前回触れた通り、売上税は州、郡により税率、対象品目、免除規定がまちまちで、当然ペーパーワークも異なる。そんなのをマニュアルで処理しないといけないとなると、余りの負荷でやはりDue Process的に問題となる。今回のSouth Dakota州の法律が違憲とならなかった一つの要因にコンプライアンスを容易にしてくれていたことが挙げられる。

例えば、South Dakota州で限られた回数の取引とか少額の取引にしか従事していない販売主に対しては免除制度が規定されていたり、徴収義務は今後の取引のみで過去訴求しないとか、州外販売主側の事務負担軽減の目的で、州側が無償でソフトウェアを供給したり、更に、複数の州が加盟している「The Streamlined Sales Tax Project (SSTP)」にSouth Dakota州が参加して、できるだけ標準的なプロセスとなるよう尽力している。

したがって、今回の判例に基づいて、州外の販売主に対して売上税の徴収を規定する州法が憲法のテストを通過するには、州間通商に過度の負担を強いず、公正な規定内容とすることが前提となる。

今後の展開としては、各州が、最高裁判所がOKとした基準に基づいて、州外販売主に対する売上税徴収義務を規定したり、従来の憲法の制約内で限界に挑んでいた法律を既に制定しているところは、最高裁判所の見解と照らし合わせて、合憲となる可能性の高いものに微調整していく必要があるあるだろう。もうひとつ、以前から期待されている流れに、連邦議会が何らかの法律を制定するというものがある。連邦は憲法上、通商条項に基づき「Inter-State Commerce」にかかわる法律を制定することができる。したがって、連邦が制定した法律はPreemptive的に州法よりも上位に属することになる。例えば、法人税のNexusを各州が規定しているけど、一定の活動に関しては連邦法がオーバーライドする形で法人税の課税を制限しているようなもの(PL86-272)があるけど、このような形で何らかの連邦法により一定の基準設定が好ましいという声も多い。

電子取引を含む経済のあり方そのものが大きく変わっていく中、今回の判決は時間の問題だっただろう。昔は物理来な存在をもってNexusを判断していたが、電子取引の世界では、物理的な存在は重要なファクターでないことも多く、経済的な結び付き、すなわち「Economic Nexus」の台頭となる。法人税の世界でも、BEPSとかで苦労して、新しい経済の在り方に対応しないといけない直接税は余り時代にあっていないとも言え、長期トレンドとしてはVATのようなDestination Baseの課税にシフトしていくんだろう。

Destination BaseというとBlue PrintのBorder Adjustmentを盛り込んだDBCFTが懐かしい。先日、上院財政委員会のTax Counselの方と直接話しをするという好機に恵まれたけど、実は水面下ではDBCFTの法文ドラフトが完成していたようで、100ページ(と言っていたかどうか忘れたけど)とか、膨大かつ複雑な規定だったようだ。「BEATなんて数ページの規定なんだから有難く思うように」みたいなお説教もしてもらったけど、DBCFTは概念的に実にシンプルだったので、そこまで複雑にしないと法律にならないという点は意外だった。今となっては闇に封印されている法案だけど、Information Freedom Actとか使って見れるものなら見てみたいものだ。

ちなみに今回の最高裁判所の判決も例によって5-4で決定されているけど、その構成は興味深い。同じ5-4でも保守系とリベラル系がきれいにイデオロギー的に分かれていないからだ。元々レーガン大統領に任命された、したがって本来保守派に属するはずだけど実際には現在では退官したオコナーと並んでSwing Voteとなることが多いケネディーが判決の主文をデリバーしてる。それに賛同している判事にはアリート、ゴーサッチ、トーマスという保守派と並び、リベラルなギンズバーグが含まれる。逆に反対少数意見にはブライヤー、キーガン、ソトマイヨールというリベラルの牙城に加え、保守で長官のロバーツで構成されている。ロバーツの考えは最高裁が口を出す話しではなく、連邦議会が適切な規定を制定するべき、というもの。米国の法律は面白い。

という訳で柄にもなく州税、それも外形課税の話しでチョッと疲れたけど、次回こそは税制改正の国際課税。