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三軒目の家(2)

F Fries

さて、家を買うまでの間住んでいたのは、duplexのアパートである。

当時シカゴのCraigsListはまだまだ発達途上で、とくに郊外の物件は非常に少なかった。実際の引っ越し前に二、三日アパート探しに来たのだが、CraigsListで目星をつけた物件はどれも今ひとつ、最終的に「neighborhoodをやみくもに車で走り回る」という原始的な方法でたまたま見つけた「For Rent」のサインのところを借りることにしたのである。(このときちょうど、US Senateのprimaryをやっていて、Obamaとかいう聞いたこともないような名前の人が有力候補だとホテルのテレビで見かけた。)

わたしは可能な限り職住接近を理想とする。できれば自転車で通勤できるところが好ましかったので、アパート探しは職場のあるエバンストンに絞った。

結局契約したアパートは二つの家が隣り合わせに建っているduplexではなく、二階建ての各階が一軒となったタイプだった。上も下も全く同じ部屋割りで、3ベッドルーム2バスルーム。リビングルームなどアパートとは思えないほどの広さだった。大家は下の階に住み、上を貸しアパートにしているという。よくよく話を聞けば、大家自身、もとはアパートの賃貸人だったのが、前の大家が引退するときに物件を譲ってもらったらしい。テナント時代から彼女らは下の階に住んでいたから、今さら上に引っ越すのも面倒くさいというので、そのまま下の階に住み続けていたのである。

大家は子供二人のいる白人女性で、離婚してフランスから帰ってきてこのアパートに落ち着いたらしい。当時すでに不動産の売買記録や抵当記録はすべてインターネットでアクセスできるようになっていたから興味本位で調べてみたら、彼女は100%のローンを抱えていることがわかった。

彼女は本業はインテリアデザイナーだと言っていたが、駆け出しのインテリアデザイナーなんか子供二人を養いながら食べていけるほどの収入があるとは思えない。大家としてははっきり言って素人で、貸しアパートはペンキの塗り替えさえしてなかっただけではなく、冬の間、子供が空きアパートを遊び場にしていたらしく、壁にはボールの跡まで付いていた。時々、子供たちの父親とおぼしきフランス人(子供たちの後を追って、シカゴに落ち着いたらしい)が訪ねてきていたが、これもひどくくたびれた車に乗っており、それほどの養育費を取れそうにない。その割には生活に困っているようなふしもなかったから、おそらくある程度independently wealthyだったのだろうと思う。それを裏付けるのが郵便物。大家はこんな物好きなテナントが入るとは予想していなかったのだろう、郵便受けは一階、二階共用のバスケットが一階の出入り口付近に置いてあるだけで、それも大家は何日かに一度しか自分の郵便物を取り込まなかったから、わたしは毎日大家と自分の郵便物を目にすることになった。郵便の仕分けをしていると、嫌でも大家宛の郵便物が目に入る。そしてその中にはかなりの頻度で大家や子供たちのtrust名義の郵便物が入っていた。カツカツの収入で生活している人は普通trustなんか持っていないから、これを以てわたしは彼女は別に働かなくても暮らしていけろのだろうと判断したわけである。

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