今日のNew York Times Magazineのエッセイは、「生命保険」を考える上でちょっと参考になるかもしれないと思った。
以下はその抄訳。オリジナルは書き手の心の動きとか、そういうのがもっと具体的に描写されているけれど、ここはあくまで「生命保険」を考える上で必要な部分だけ抜き出した。
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自動車保険のことで保険会社に電話した筆者、用件が終了したところで生命保険部門に転送されることになった。
「本日、生命保険のご用件を承りますミシェルです。つきましては、まずいくつか質問させていただきます。タバコはお吸いになりますか?」
「いいえ。」
「お酒は飲みますか?」
「たまにビール、ワイン一杯程度。」
「現在、服用なさっている薬はありますか?」
「いいえ。」
「現在、または過去に以下の病気にかかったことはありますか?アルツハイマー、関節炎、糖尿病、心臓病、高血圧、痙攣、脳卒中、癌?」
「ありません。」
「お住まいは、持ち家ですか?」
「いいえ。」
「結婚なさってますか?」
「いいえ。」
「お子さんは?」
「いません。」
「ご家族は?この場合の『家族』というのは、子供さんとか、お客様が亡くなったときに経済的負担をかけたくない人のことです。」
「僕が死んだときにお金がもらえれば、僕の死に対する悲しみを軽減できるような家族、友人はいますよ。」
「お客様、生命保険というのは財産の保護が目的で、財産を築くのが目的ではありません。」(F Fries注: わたしは実はこの一文が非常に気に入って、この記事を取り上げることにした。)
つまり保険部門の係員の判断によると、筆者の現状で必要なのは、葬儀費用程度ということになった。つまり、保険会社にとって儲かる客ではない。
「また、身辺状況が変わられましたら、その時点で見直し、ということでいかがでしょうか?」
「じゃ、そのときに僕の方に電話してもらえますか?」
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大事なものを守るためにかける保険だけど、不必要な保険をかけすぎていませんか?
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