高額の退職金と手厚い企業年金という鉄壁のシステムに守られた日本の会社員と違って明日をも知れぬ身にも関わらず、ふと気がついてみると、いままで年金制度の詳細についてきちんと理解していなかった。日米社会保障協定があるので、どちらの国からもそこそこの年金がもらえるはず、程度のいい加減な理解だったのだが、これではいけないと思いまじめに勉強してみた。これはその結果のメモ。
このエントリでは、まず日米の(公的)年金制度の詳細についてまとめている。その次のエントリでは、その理解を用いて具体的なシナリオを想定して年金額その他を試算している。
公的年金についての考え方
制度の内容に入る前に、公的年金をどう考えるかについて整理しておく。
いうまでもなく、一般的に年金は仕事から引退して積極的に収入を得る手段がなくなった後の生活を金銭的に支えるための制度であるが、引退後の金銭上の最大の問題は長生きするリスクをいかにヘッジするかだと思っている。仮に死ぬ年齢がわかっていれば、ある程度の仮定のもとに必要な支出総額も確定するし、その場合人によっては個人の貯蓄だけで十分ということもあり得るだろう。もしくは個人の試算運用の結果その金額に到達できるように努力するのもよい。しかし、実際には、(まあ常識的な上限はあるにせよ)引退前から余命を予測するのは多くの人には不可能だろう。そして、どれだけ大きな資産を用意できたとしても、他の収入が途絶えた後はそれをじりじり取り崩していくことになるし、幸か不幸か長生きしている間にインフレが進むと、当初予想以上のスピードでその資産が目減りしてしまうことも考えられる。
これらの問題を踏まえると、日米によらず公的年金の最も重要な特徴は以下の2つだといえる:
- 終身であること
- インフレに追随してくれる(日本でいう物価スライド)こと
そして、この特徴を活かすためには、予算の許す範囲で受け取れる年金額(ただしインフレに追随する部分に限る。下記の国民年金基金の項も参照)を増やすことが重要になる。具体的には、できる限り拠出額を増やし、ペナルティを避け、増額できる制度をできる限り取り入れることとなる。と書いてしまうと当たり前のようだが、これらの中には制度の詳細を理解していないと実現が困難なものもある。また、制度の字面だけを理解するのでなく、具体的に計算してみることも重要だ。とくに、長期間を対象とし、インフレ効果を考慮に入れる必要のある財務上の問題は複利での計算を要することが多く、しばしば直感に反する結果になるからである。
ところで、このような観点で年金制度を考えると、受け取れる年金額の期待値や、それと比較した保険金・掛金の額は本質的な問題ではないことがわかる。平均寿命まで生きても払った保険金の分だけもらえない、といった議論をよく見かけるのだが、生命保険のように、期待値的にはかなり損と思われるギャンブルには平気でお金を投じている(日本人はとくに?)割に、年金については支払った分取り戻せるかどうかといった視点で騒ぐというのは実に愚か不思議である。
もちろん、公的年金制度の持続性の問題は無視できない現実であろう。期待値論のような、あまり合理的には思えない理由で公的年金制度を否定するのが短絡的と思える一方、「国が運営するシステムだから大丈夫」というような盲信もいまどき脳天気過ぎといえる。次エントリの試算も、現時点での制度に基づいているが、たとえば支給開始年齢がさらに引き上げられるといった変更が今後導入される(ため、試算で想定した条件より悪化する)ことは予期しておかないといけないだろう。ただ一方で、試算編の例を見てもわかるように、個人の貯蓄だけで引退後を完全に乗り切るのはほとんどの人には不可能だろうし、一方で民間の年金(に類する)システムが国の制度より優れているという保証もない。国の制度の場合、税制その他の優遇条件がつく場面も多いし、条件の悪化はあるとしても制度の完全な崩壊というようなケースはかなり考えにくい(ないとはいえないが、それをいえば民間のシステムでも破綻はあり得る)。したがって、内容をよく理解し、変更を注意深く見守りながら最大限活用することを考えるのが最善の策であろう。
日本の年金制度
日本の場合、公的年金は何種類かあるが、成人してから引退までが学生(or無職)または会社勤めだった人の場合、関係するのは国民年金と厚生年金になる。国民年金の保険料は定額で、現状月額15040円。厚生年金の保険料は給料(ボーナスや諸手当含む)に応じて増減する。
受け取る年金の額については、国民年金は単純で、
定額(現在77万8500円/年) * (保険料を払った月数/480)
保険料を480か月(40年)払うと満額、それより少なければそれに比例して減額される。定額部分は物価に応じて調整される。
厚生年金の受給額の計算は複雑だが、本稿の主旨について本質的な部分に絞って簡略化すると、
受給額 = 定額部分 + 報酬比例部分
ここで、実質的には、定額部分は厚生年金加入期間分の国民年金の受給額に相当するように思われる(日本年金機構のページに記載の式だと違う概念のように見えるけど、実際に計算すると同じ値になる。また、制度の主旨からいってもそうなるのが理にかなっている)。
報酬比例部分の式も複雑だが、基本的には
報酬比例部分 = 2003年3月までの報酬額の平均 * 7.125/1000 * 2003年3月までの加入期間 + 2003年4月以降の報酬額の平均 * 5.481/1000 * 2003年4月以降の加入期間
という理解でよさそう。7.125とか5.481とかのfactorは生年月日に応じて変わるが、年金機構の資料(報酬比例部分の乗率)によると1946年4月生まれ以降の人はみんな上記の値になっているので、よほど古い世代の人以外は固定値と思ってよさそう。2003年4月を境に2分されているのは、それより前はボーナス分が報酬額の計算に含まれていなかったため。どちらの報酬額も、物価に応じて現在(年金支給時)価値に直した値を使う。この調整のfactor(再評価率)も上記資料ページで公開されている。
なお、会社員の場合、これらに加えて厚生年金基金によるいわゆる「3階部分」の企業年金制度に加入していることも多いと思われる(筆者の日本時代もそうだった)。この部分については、後の議論にも関係してくるものの、基金によって掛金の額も給付額も異なる(はず)ので、ここではとりあえず無視する。
国民年金の任意加入
日本とアメリカの間には社会保障協定があり、アメリカの会社に現地採用されて働く日本人は、原則としてアメリカの社会保障(年金含む)制度にのみ加入することになる(日本年金機構のサイトによる説明)。
ただし、このような場合でも、日本の国民年金に任意加入して保険料を納めることで、将来の年金額を増やすことができる。なお、任意加入していない間も、年金支給要件(保険料納付期間が25年以上)の期間としては数えられる(ただし前項の通り年金額は減らされる)。
日本の非居住者になる際、任意加入の必要性はないと思っていたのだが、今回改めて勉強してきちんと計算してみると、任意加入が有効になるケースも多そうだということがわかってきた。任意加入は非居住者になる時点での手続き(本来加入者でなくなるのでいずれにしても手続きは必要)の際にできる。また、非居住者になった後から考えなおして加入することも可能。ただし、その場合は非加入になった時点までさかのぼっての加入はできない(日本年金機構のサイトを見てもこのあたりのことははっきりしないが、以上は年金事務所に電話して確認した)。
なお、日本の居住者であれば、国民年金の保険料は社会保険料控除として所得税の控除対象となる。アメリカの居住者としてアメリカに納税する際、同様にこの保険料額をforeign tax credit(もしくはせめてdeduction)で取り戻せるとすばらしいのだが、IRSの説明によると、日米社会保障協定(totalization agreement)があるので控除不可能と思われる。残念。(もっとも、社会保障協定がなかったとしても、”you must have paid”という原則的条件もあるので、任意で払った保険料についてはいずれにしても控除不可かもしれない)
国民年金基金
厚生年金の報酬比例部分に相当する国民年金用の制度として、国民年金基金がある。ごく単純化してかつ一面的にいえば、より多く拠出することで将来の年金額を増やすということになる。基金のページにあるFAQによれば日本の非居住者は加入不可のようにも見えるが、日本年金機構の事務所に電話したときについでに質問してみたら加入できるとのことだった(管轄が違うので事務所の人の勘違いかもしれない)。
ただ、いずれにしても、内容を検討してみた結果、国民年金基金は加入に値しないという結論に至った。他の公的年金制度と違って、国民年金基金では年金額がインフレ調整されないので、長期にわたって長生きするリスクのヘッジという主旨からすると不向きなためである(この部分はもっときちんと説明されてないといけないと思うのだが、基金の公式ページで言及されているふしがない。加入を検討している人にとって都合の悪い情報だから黙っているということだろうか?)。掛金が社会保険料控除の対象になるという点は利点なのだが、上でも述べたように、この利点も日本の非居住者では享受できない。
アメリカの年金制度
アメリカでは(勤め人、自営業者の)公的年金はsocial securityとして一本化されている。保険金相当額は、税金の一種として、会社勤めの場合は給料に応じて徴収される。税率は名目給与の6.2%で、物価に応じて調整される上限があり、2014年の場合で11万7千ドル。
受給額の計算は、日本の厚生年金の報酬比例部分と主旨としては似ているもののやや複雑。一次情報としてはsocial securityの公式サイトがあるが、ぐぐって出てくるページの方がまとまっていてわかりやすい。
いろいろ細かい調整はあるが、基本的には月額平均収入(Average Indexed Monthly Earnings, AIME)に基づいて計算されるPIA(Primary Insurance Amounts)と呼ばれる値で受給額が決まる。PIAは以下の式で計算される:
PIA = 0.9(注: 下記WEPにより変わる) * min(AIME, bp1) + 0.32 * min(0, (min(AIME, bp2) - bp1)) + 0.15 * min(0, (AIME - bp2))
一つの式にするとわかりにくいが、要するに、AIMEのうちbp1ドルまでの部分の90%、それを超えたbp2ドルまでの部分の32%、bp2ドルを超える部分の15%、の合計である。
ここで、bp1とbp2はbending pointsと呼ばれ、物価に応じて増減(通常年とともに増える)する。2014年の場合でそれぞれ816, 4917。過去の値はsocial securityのサイトに掲載されている。
AIMEは、62歳になるまでの間の各年ごとに収めたsocial security税の対象額(概ね名目給料額、ただし上記の上限あり)を62歳時での物価に応じて調整し、その結果の上位35年分についての月額の平均値。Social security税を支払った期間が35年に満たない場合、残りの年数は0として平均を取る(この部分は、ある程度年数が経ってからアメリカで働き始めた人にとっては重要)。物価による調整の指数はsocial securityのサイトで得られる。
さらに、一定額以上のsocial security税を収めた期間が30年に満たない場合、PIAを求める上記の式中の0.9が期間に応じて減じられる。1年足りないごとに0.05ずつ減り、最低で0.4になる。この仕組みはWindfall Elimination Provision (WEP)と呼ばれる。これもある程度年数が経ってからアメリカで働き始めた人にとっては重要なポイントになる。
求まったPIAが月額の年金の値となる。ただし、実際の年金受給額は物価に応じて調整される。
繰り下げ・繰り上げによる加算・減額
日米とも、標準の年金受給開始年齢(日本は現在65歳、アメリカは66歳、ただし1960年生まれ以降は67歳)から受給開始を遅らせる(繰り下げ)ことにより受給額を増やすことができる。また、受給額を減らす代わりに受給開始を早める(繰り上げ)こともできる。長生きのリスクヘッジというここでの主旨からすると重要なのは繰り下げなので、以下は繰り下げについてのみ述べる。
日米とも最長70歳まで、月単位で繰り下げできる。日本の場合は1年の繰り下げにつき8.4%受給額が増え、最大42%増となる。アメリカの場合は1年あたり8%増え、最大32%増となる(1960年生まれ以降は最大24%増)。
繰下げ効果は重要である。日本の場合だと、5年で42%増というのは複利での年利約7%に相当する。無リスクでこの利回りを上げられる商品は(少なくとも現在の金利水準では)存在しないだろう。しかも、増えた後の額がその後の年金額の基準となり、インフレの調整もこの額が対象となる。次エントリの試算例でも、概ね最大限繰り下げする方が有利である(例外は繰り下げなくても年金だけで暮らせる状態になっている場合)。もちろん、繰り下げするためには年金が支給されるまでの生活費を賄えるだけの貯蓄を作っておかないといけない。その額を見積もり、用意する運用を考えるのが引退に向けての鍵の一つとなる。
年金と税金(日本)
老後資金の正確な見積のためには税金による手取り額の目減り分をきちんと考慮する必要がある。
日本の場合、国民・厚生年金の支給額は「公的年金等」の雑所得として所得税・住民税の対象となる(国税庁のページ)。また、このページによれば、「外国の法令に基づく保険又は共済に関する制度で…社会保険又は共済制度に類するもの」も公的年金等控除の対象になるので、アメリカのsocial security給付も対象となると考えてよさそう。また、日本の居住者であれば、日米租税条約によりアメリカ側では源泉徴収も最終的な課税も発生しない。IRS資料の日本の項参照。
いま一つ不明なのは、401kやIRAなどの課税繰り延べ・非課税口座からの引き出しが日本でどのように課税されるかということ(上記IRS資料の”Japan”と”pension”の項から判断すると、アメリカ側での源泉徴収や課税は発生しないと考えてよさそう)。
日本の確定拠出年金(日本版401k)口座からの引き出しは公的年金と同等に扱われる模様で、社会保障協定の主旨もあわせて考えると、アメリカの401kやIRAからの引き出しもそれと同等に扱えそうな気がするのだが、何でも知ってるはずのgoogle様からもこの件については明確な答えをもらえなかった。ぐぐってでてきた一番近そうな情報では「運用益は日本で雑所得として自己申告」とあるので、公的年金扱いになるようにも読めるが、他の一般の雑所得を指している可能性もあるし、そもそもこの記事の内容がどこまで信頼できるかも不明(一応著者はアメリカの税理士らしいが)。
さらに、仮に所得の種類としては公的年金扱いになったとしても、Roth IRA(アメリカでは引き出し額も全額非課税)やnon deductible IRA(アメリカでは運用益部分のみ課税)の優遇条件がそのまま保持されるのかも不明。これらが引き出し額全額を年金額とみなされてしまうと日米で税金を2重取られすることになってしまう。このあたりは別途要確認(といっても誰に聞けばいいのかわからないが)だが、Roth IRAについては、もし59.5歳時点でアメリカに居住しているならそこで引き出してしまうのも一案かもしれない。非課税期間が短くなるのは惜しいが、少なくとも日本側でうっかり課税されるという事態は防げる。
年金と税金(アメリカ)
アメリカに居住したまま年金を受け取る場合、social securityの受給額については最大85%が通常所得として課税される。税制度のありとあらゆる点が複雑怪奇なアメリカだけに、social securityの課税の仕組みも変態的で、年金以外の収入の多寡によって控除率(最小で15%になる)が変わるようになっている。
アメリカに居住した状態で受け取った日本の年金もアメリカで課税されるはずだが、その際の控除等のルールは未確認。これらはとりあえず今回の調査の対象外なので深入りしないことにする。
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