ABCって言うのは学校や幼稚園で最初に習うアルファベットだから、もともと誰でも簡単にできることを意味することが多い。若かりしMichel Jacksonを含むJackson一家で結成していたJackson 5(後のJacksons)も「A、B、C、it's easy as 1、2、3 or simple as Do Re Mi」とか歌ってたし、The Loco-motionでも「My little baby sister can do it with me, it's easier than learning your A、B、C」って歌ってるしね。
The Loco-motionと言えばもちろん元祖はLittle Evaだけど、その後著名なところでは 「I should be so lucky」とかで売れたオーストラリアのKylie Minogueとか、アリーナロック元祖Grand Funk Railroadがカバーしている。Kylieのも可愛い感じで良かったけど、やっぱりGrand Funk。ミシガン州のFlintでMark Farnerが結成したハードコアなアメリカンバンドだ。
Grand Funkは日本でも、その昔、後楽園(東京ドームではない)で激しい雷雨の中敢行されたコンサートが伝説化している。余りに激しい雨で、口パク疑惑が語られたこともあったけど、最終的には本当に演奏してたってことで落ち着いたんだと思う(?)。1975年のGrand Funk米国ツアーの様子を収録した2枚組ライブアルバム「Caught in the Act」はDeep Purpleの「Made in Japan」と並ぶライブの名作。ZeppelinのMSGライブ映画のサウンドトラック「The Song Remains the Same」もそうだけど、ライブって2枚組レコードで発売されることが多く、子供の頃は買うのに相当勇気が要った。他にプラモ(笑)とかに配賦するべき予算もあり、Grand FunkのCaught in the Actの新品はお小遣いの範囲で手が出なかったので、結局、当時よく掘り出し物を探しに出入りしてたディスクユニオンで中古を見つけて入手したものだ。
最初からMark Farnerがガンガン盛り上げ、前々曲のSome Kind of Wonderful辺りからクライマックスっぽくなってきて、1枚目B面の最後にとどめを刺す感じでThe Loco-Motionが登場する。今You Tubeとかで見ると、下品というかなんというかチョッと笑っちゃうけど、ハードロックって本来こんなんだよね、っていうのを再認識させてくれるバンド。ボーカル兼ギターのMark Farnerはいつも最初から上半身裸だし後のVan HalenのDave Lee Rothとかに通じる品のない格好良さ(なにそれ?)が楽しめる。Mark Farner、ギターは下手じゃないけど、70年代のハードロックギタリストにありがちな、手持ちフレーズが限られているチョッとAlvin Leeみたいなギタリストだ。Alvin Leeと言えばWoodstockのTen Years Afterは格好よかったね。Woodstockの映画では最後に登場するJimi Hendrixが余りに凄すぎて、Alvin Leeとか、サンタナとか、普通だったら強く印象に残るはずのギタリストのこと忘れちゃったりしてたけどね。
Grand Funkなんて今では知らない人の方が多いと思うので、怖いもの見たい人はFootstompin' Musicで始まるツアーの動画をYouTubeで見てみて欲しい。American Bandとか名曲。もちろんMark Farnerのカウントで始まるThe Loco-Motionもお忘れなく。古き良きアメリカだ。
で、The Loco-Motionを繰り返し見過ぎて「it's easier than learning your A、B、C」っていう歌詞が頭を離れなくなったら、その勢いでOECDのピラー1のAmount A、B、Cにチャレンジ。え~、ピラー1全然1、2、3やドレミじゃないじゃん、って当たり前だよね。100年続いた国際課税システムを少なくとも部分的に斬新なものに変えようって話しだから、The Loco-Motionの「a chug-a chug-a motion」とは次元が違う訳だ。
ピラー1は日本語では第1の柱と訳されるけど、ちょっと個人的にしっくりこないのでここではピラー1ってしておく。このピラー1とかUnified Approachが何なのか、とかいろいろな前置きは書こうと思えば、それだけも長編になっちゃうけど、皆様も散々目にしたり聞いたりしてると思うので、ここでは極簡単に触れておく。100年間続いてきた国際課税の基本的な枠組みが、デジタル経済やグローバル経済の実態に合わなくなってきて抜本的に見直す時期に来ているのではないかっていう問題意識は以前のオリジナルBEPSアクションプラン1の頃から存在はしていた。アクションプラン1ではVATはともかく法人税の世界では具体的なアクションが示唆された訳ではなく、具体的な進展が近々に見込まれる様子ではなかった。
しかし、その間にデジタル経済は更に加速度的に進化し、多くのユーザーが自国に存在するにもかかわらずデジタル企業から各国課税当局が考える「適正なシェア」の法人税を徴収できないことに不満を抱き始めた国々が、一方的にDSTというデジタル課税を導入し始めた。DSTはグロスベースだったりすることも多いし、二重課税排除システムがないので対象となると被害が大きい。DSTはよく「Googleタックス」とか「GAFAタックス」と揶揄されるように、実質DSTを支払うのは米国の大手ハイテク企業なので、米国としてはもちろん容認できず、追加関税で報復とか、このまま放っておくと大混乱必至という状況になってしまった。そんなこんなで、これ以上流暢なことを言っている場合ではなくなり、2019年に猛スピードでOECDの提案があり、つい一カ月チョッと前の2020年1月末に130か国がOECDの提案を基に2020年中にコンセンサス作りで協調していくことを決めたものだ。
100年掛けて進化してきた現状・既存の国際課税システムの基本は、現地法人オフィスとかPEとか、何らかの物理的な存在がある場合に、その国に課税権が認められ、そのオフィスやPEが持つ機能・リスクに基づいて適正と考えられる所得を配賦するっていうもの。これは正確には租税条約ネットワークに基づく国際課税システムで、国内法では異なる規定を持つこともある。そのいい例が他でもない米国で、国内法には基本的にはPEという概念はなく、代わりに米国事業(US Trade or Business)というとてつもなくグレーな概念がある。US Trade or Businessは必ずしも、固定的な施設を米国に所有していなくても認定されるし、そこから生じる、または生じるとみなされる所得はECIとして申告課税の対象となる。米国と条約を締結している日本のようなラッキーな国の居住者は連邦法人税の観点からは、基本PEに基づく課税関係が最終的な取り扱いになるけど、シンガポールとか中南米の国とかで米国と条約を締結していないと(または何年も前に締結したつもりが米国が批准していないと(苦笑))、より厳しく不確実性の高い課税関係を強いられる。したがって今回100年ぶりに見直されている国際課税システムというのは、数多くの二国間の条約に基づいて構築されている複雑かつある意味脆弱なネットワークを基に成り立っている。これを魔法の杖一振りで短期間で新たな共通ルールに変えようという試みなので、参加プレイヤーが多くもちろん一筋縄でいく話しではない。
で、この伝統的な国際課税システムの基本は上述の通り、「事業主体」または「PE」単位で課税所得が決定される点。そして、この課税単位となる各主体・PEの「機能・リスク」的に適正と考えられるレベルの利益が課税所得となる点。この基本2点こそ、米国が1930年代から適用し、1968年、1994年の規則を通じて近代化してきたArm’s-Length Principle(ALP)だ。ALPは今日の国際課税システムに奥深く組み込まれているので、ピラー1が登場するまでALP以外の国際課税システムは、理論的には議論されることはあっても、現実的とは考えられていなかった。
もちろん第三者とだけビジネスしてるケースは、実際に認識される所得がそのままその主体・PEの課税所得になるけど、グローバル経済でビジネスを行っている多国籍企業の世界では、どんなにシンプルな企業でも、グループ内に多くの主体があり、例えばX国とY国でR&Dして、Z国で生産して、それを現地法人の販社、第三者の問屋経由でX、Y、Z国を含む100か国に販売している、っていうような状況が普通なので、各主体がALPに基づきどれだけの所得を認識するべきか、っていう移転価格問題は常に争点の種となる。
で、デジタル経済にこれがなぜ馴染まず、問題視されているかというと、OECD言うところの「Market Jurisdiction」、ここでは日本語で「市場国」ってしとくけど、に現地法人のオフィスやPEというプレゼンスがなくても、またはかなり限定的な機能・リスクしか持ってなくても、デジタル経済の世界では、その国に所在するユーザー、消費者、顧客に自由にアクセスし、活用することができる。また、場合によってはユーザーデータ等に超過利益の源泉となる価値があるにもかかわらず、ユーザーが所在している国には課税権がない、またはあっても最小限のルーティン所得にしか課税できない、というような状況が徐々に増えてきているのでは、という危機感を各国税務当局が強く覚え始めたからだ。自国にユーザーが存在することで、それをもって実際どれだけのグループ超過利益に貢献しているか、っていう事実認定は各企業グループ毎に大きく異なるだろうし、算定は困難。こんな事実認定を実際に追及でもしようものなら、多くの係争の基となるのは必至。なので決め事として何らかのフォーミュラの使用が必然となる。
そこで、ピラー1は、オフィスやPEと言った物理的なプレゼンスのあるなしにかかわらず、一定要件下で市場国に課税権を認め、大企業グループの超過利益をフォーミュラベースの配賦比率で市場国に課税所得として分配しようという大胆な新国際課税システムを提案している。米国州法人税のユニタリー合算計算みたいだ。
ただ、これを既存のALPと「共存」させる形で実現させようとしているためにかなり複雑。この共存をどう考えるかっていうベーシックな点を理解しないとピラー1はよく分からないだろう。OECDのことばを借りると、この共存は「Overlay」となるけど、個人的には「Overlap」という方が実態に近いと感じている。ピラー1では、多国籍企業が認識する所得のうち、市場国が市場として課税できる金額をAmount A、B、Cと3部構成にしている。まず、重要なポイントは、A、B、C、というピラー1が議論している所得は、「市場国が市場として課税できる所得のみ」の話しだっていう点。多国籍企業の全ての活動から生じる所得が全てA、B、C、で構成されている訳ではない。すなわち、A+B+C=100とか単純な数式は成り立たない。ちなみに日本語では所得A、B、C、っていうこともあるようだけど、ここでは原文通りAmount A、B、Cとしておく。
で、後日詳しく触れるけど、Cは既存のALP、Bも計算法こそシンプルにしているものの概念はALP。すなわち、大概において従来の国際課税システム下でも市場国は市場として既にAmount BとCは課税できていることになる。Cに関しては実際に課税しているか否かは別にしても、既に従来の国際課税インフラ、すなわちALPで課税できる仕組みになっている。この点は実は重要で、BとCは、仮にピラー1が瓦解し、合意に達することができなかったとしても、関係なく市場国は同様の金額を課税する権利を有する。米国によるMarket Intangibleに基づく超過利益の一部を自国で課税しようとする動きは既存のALP下での話しだし、Amount Cとはまさにそのような所得をカバーしようとしているものだ。
企業活動は市場国における販売だけではなく、他にも製造活動やR&Dその他の機能・リスクに対応する所得がいろいろとあり得る。Amount BとCが従来の考え方でも市場国が市場として既に課税できているのが原則だとすると、これにグループ内の各事業主体が認識する市場国の市場として課税対象とは関係のない所得を足すと、既存システム下での、多国籍企業グループの所得合計となるはず。すなわち、グループ全体の所得を100とすると、B+C+市場国の市場としての所得とは関係ない所得=100になるはず。あれ、Amount Aはどこ行っちゃったの、って思われたら、そこがピラー1の恐ろしいところ。Amount Aは既存のシステムでは誰かが既にどこかで知らずに認識している所得の一部になるからだ。
このAmount Aこそが物理的存在があってもなくても新たに市場国に課税権が与えられる金額で、ピラー1の神髄的な金額だけど、従来のALPと異なり事業主体・PE単位ではなく「グループ全体」の所得を基に算定するっていう点が最初の最重要ポイント。すなわち、ALPは、関連者グループ間でいろいろと協働したり、グループ内法人・PE間でさまざまな取引をしているものを、最終的には各事業主体・PE単位で認識するべき所得を各主体・PEの機能・リスクを基に経済的に算定する。Amount Aは全く違う。Amount Aはグループ全体の所得の一部を人工的に取り出すので、その定義からどの事業主体にも紐ついていないし、誰のものか分からない所得で構成されることになる。
さらにAmount Aの金額算定法もALPとは異なり、各事業主体やグループの機能・リスク、例えば市場国のMarket Intangibleとか、に基づく経済的な所得認定ではない。単純に連結決算書の税引前所得の一部をフォーミュラで超過利益とし、さらに超過利益の一定%をAmount Aとしてしまう。この2点、すなわち、どの事業主体が生み出しているか分からないグループ全体所得の一部である点、また、機能・リスクベースではないフォーミュラベースで算定される所得だという点、はALPの基本的な概念である「事業主体・PE単位の所得認定」「機能・リスクベースの所得算定」と相いれないものとなる。
更に概念的に相いれないだけでなく、さっきの方程式のようにグループの課税所得は「B+C+市場国の市場としての所得とは関係ない所得=100」で既にどこかの国で課税されている、または少なくともどこかの国の所得になっているので、急に空から降ってくるようなAmount Aというのはグループ内の誰のものでもないばかりか、単純に既に100の中に含まれている所得の一部を再度人為的に、というか無理やり取り出していることになる。すなわち、このまま放っておくとAmount Aというのは各市場国にばらまかれるけど、グループベースで見ると単純にAmount Aの金額だけ二重課税というか、少なくとも課税所得としてはどこかで2回反映されていることになる。しかも、どこで2重になっているか不明なままで。え~、Amount Aは「Reallocation」じゃないの、って思われるかもしれないけど、Reallocationとするには、この重複を何らかの形で処理しないといけない。この重複解消はピラー1のデザインの中でも最重要かつ複雑な検討事項となる。この点は次回以降のポスティングでもう少し詳しく考えてみたい。
ということでAmount Aはほぼ架空の所得で、既にどこかで課税所得になっているはずの金額が再度取り出されている、ってことを冒頭に明確にし、今後の話しに繋げて行きたい。
The Loco-motionと言えばもちろん元祖はLittle Evaだけど、その後著名なところでは 「I should be so lucky」とかで売れたオーストラリアのKylie Minogueとか、アリーナロック元祖Grand Funk Railroadがカバーしている。Kylieのも可愛い感じで良かったけど、やっぱりGrand Funk。ミシガン州のFlintでMark Farnerが結成したハードコアなアメリカンバンドだ。
Grand Funkは日本でも、その昔、後楽園(東京ドームではない)で激しい雷雨の中敢行されたコンサートが伝説化している。余りに激しい雨で、口パク疑惑が語られたこともあったけど、最終的には本当に演奏してたってことで落ち着いたんだと思う(?)。1975年のGrand Funk米国ツアーの様子を収録した2枚組ライブアルバム「Caught in the Act」はDeep Purpleの「Made in Japan」と並ぶライブの名作。ZeppelinのMSGライブ映画のサウンドトラック「The Song Remains the Same」もそうだけど、ライブって2枚組レコードで発売されることが多く、子供の頃は買うのに相当勇気が要った。他にプラモ(笑)とかに配賦するべき予算もあり、Grand FunkのCaught in the Actの新品はお小遣いの範囲で手が出なかったので、結局、当時よく掘り出し物を探しに出入りしてたディスクユニオンで中古を見つけて入手したものだ。
最初からMark Farnerがガンガン盛り上げ、前々曲のSome Kind of Wonderful辺りからクライマックスっぽくなってきて、1枚目B面の最後にとどめを刺す感じでThe Loco-Motionが登場する。今You Tubeとかで見ると、下品というかなんというかチョッと笑っちゃうけど、ハードロックって本来こんなんだよね、っていうのを再認識させてくれるバンド。ボーカル兼ギターのMark Farnerはいつも最初から上半身裸だし後のVan HalenのDave Lee Rothとかに通じる品のない格好良さ(なにそれ?)が楽しめる。Mark Farner、ギターは下手じゃないけど、70年代のハードロックギタリストにありがちな、手持ちフレーズが限られているチョッとAlvin Leeみたいなギタリストだ。Alvin Leeと言えばWoodstockのTen Years Afterは格好よかったね。Woodstockの映画では最後に登場するJimi Hendrixが余りに凄すぎて、Alvin Leeとか、サンタナとか、普通だったら強く印象に残るはずのギタリストのこと忘れちゃったりしてたけどね。
Grand Funkなんて今では知らない人の方が多いと思うので、怖いもの見たい人はFootstompin' Musicで始まるツアーの動画をYouTubeで見てみて欲しい。American Bandとか名曲。もちろんMark Farnerのカウントで始まるThe Loco-Motionもお忘れなく。古き良きアメリカだ。
で、The Loco-Motionを繰り返し見過ぎて「it's easier than learning your A、B、C」っていう歌詞が頭を離れなくなったら、その勢いでOECDのピラー1のAmount A、B、Cにチャレンジ。え~、ピラー1全然1、2、3やドレミじゃないじゃん、って当たり前だよね。100年続いた国際課税システムを少なくとも部分的に斬新なものに変えようって話しだから、The Loco-Motionの「a chug-a chug-a motion」とは次元が違う訳だ。
ピラー1は日本語では第1の柱と訳されるけど、ちょっと個人的にしっくりこないのでここではピラー1ってしておく。このピラー1とかUnified Approachが何なのか、とかいろいろな前置きは書こうと思えば、それだけも長編になっちゃうけど、皆様も散々目にしたり聞いたりしてると思うので、ここでは極簡単に触れておく。100年間続いてきた国際課税の基本的な枠組みが、デジタル経済やグローバル経済の実態に合わなくなってきて抜本的に見直す時期に来ているのではないかっていう問題意識は以前のオリジナルBEPSアクションプラン1の頃から存在はしていた。アクションプラン1ではVATはともかく法人税の世界では具体的なアクションが示唆された訳ではなく、具体的な進展が近々に見込まれる様子ではなかった。
しかし、その間にデジタル経済は更に加速度的に進化し、多くのユーザーが自国に存在するにもかかわらずデジタル企業から各国課税当局が考える「適正なシェア」の法人税を徴収できないことに不満を抱き始めた国々が、一方的にDSTというデジタル課税を導入し始めた。DSTはグロスベースだったりすることも多いし、二重課税排除システムがないので対象となると被害が大きい。DSTはよく「Googleタックス」とか「GAFAタックス」と揶揄されるように、実質DSTを支払うのは米国の大手ハイテク企業なので、米国としてはもちろん容認できず、追加関税で報復とか、このまま放っておくと大混乱必至という状況になってしまった。そんなこんなで、これ以上流暢なことを言っている場合ではなくなり、2019年に猛スピードでOECDの提案があり、つい一カ月チョッと前の2020年1月末に130か国がOECDの提案を基に2020年中にコンセンサス作りで協調していくことを決めたものだ。
100年掛けて進化してきた現状・既存の国際課税システムの基本は、現地法人オフィスとかPEとか、何らかの物理的な存在がある場合に、その国に課税権が認められ、そのオフィスやPEが持つ機能・リスクに基づいて適正と考えられる所得を配賦するっていうもの。これは正確には租税条約ネットワークに基づく国際課税システムで、国内法では異なる規定を持つこともある。そのいい例が他でもない米国で、国内法には基本的にはPEという概念はなく、代わりに米国事業(US Trade or Business)というとてつもなくグレーな概念がある。US Trade or Businessは必ずしも、固定的な施設を米国に所有していなくても認定されるし、そこから生じる、または生じるとみなされる所得はECIとして申告課税の対象となる。米国と条約を締結している日本のようなラッキーな国の居住者は連邦法人税の観点からは、基本PEに基づく課税関係が最終的な取り扱いになるけど、シンガポールとか中南米の国とかで米国と条約を締結していないと(または何年も前に締結したつもりが米国が批准していないと(苦笑))、より厳しく不確実性の高い課税関係を強いられる。したがって今回100年ぶりに見直されている国際課税システムというのは、数多くの二国間の条約に基づいて構築されている複雑かつある意味脆弱なネットワークを基に成り立っている。これを魔法の杖一振りで短期間で新たな共通ルールに変えようという試みなので、参加プレイヤーが多くもちろん一筋縄でいく話しではない。
で、この伝統的な国際課税システムの基本は上述の通り、「事業主体」または「PE」単位で課税所得が決定される点。そして、この課税単位となる各主体・PEの「機能・リスク」的に適正と考えられるレベルの利益が課税所得となる点。この基本2点こそ、米国が1930年代から適用し、1968年、1994年の規則を通じて近代化してきたArm’s-Length Principle(ALP)だ。ALPは今日の国際課税システムに奥深く組み込まれているので、ピラー1が登場するまでALP以外の国際課税システムは、理論的には議論されることはあっても、現実的とは考えられていなかった。
もちろん第三者とだけビジネスしてるケースは、実際に認識される所得がそのままその主体・PEの課税所得になるけど、グローバル経済でビジネスを行っている多国籍企業の世界では、どんなにシンプルな企業でも、グループ内に多くの主体があり、例えばX国とY国でR&Dして、Z国で生産して、それを現地法人の販社、第三者の問屋経由でX、Y、Z国を含む100か国に販売している、っていうような状況が普通なので、各主体がALPに基づきどれだけの所得を認識するべきか、っていう移転価格問題は常に争点の種となる。
で、デジタル経済にこれがなぜ馴染まず、問題視されているかというと、OECD言うところの「Market Jurisdiction」、ここでは日本語で「市場国」ってしとくけど、に現地法人のオフィスやPEというプレゼンスがなくても、またはかなり限定的な機能・リスクしか持ってなくても、デジタル経済の世界では、その国に所在するユーザー、消費者、顧客に自由にアクセスし、活用することができる。また、場合によってはユーザーデータ等に超過利益の源泉となる価値があるにもかかわらず、ユーザーが所在している国には課税権がない、またはあっても最小限のルーティン所得にしか課税できない、というような状況が徐々に増えてきているのでは、という危機感を各国税務当局が強く覚え始めたからだ。自国にユーザーが存在することで、それをもって実際どれだけのグループ超過利益に貢献しているか、っていう事実認定は各企業グループ毎に大きく異なるだろうし、算定は困難。こんな事実認定を実際に追及でもしようものなら、多くの係争の基となるのは必至。なので決め事として何らかのフォーミュラの使用が必然となる。
そこで、ピラー1は、オフィスやPEと言った物理的なプレゼンスのあるなしにかかわらず、一定要件下で市場国に課税権を認め、大企業グループの超過利益をフォーミュラベースの配賦比率で市場国に課税所得として分配しようという大胆な新国際課税システムを提案している。米国州法人税のユニタリー合算計算みたいだ。
ただ、これを既存のALPと「共存」させる形で実現させようとしているためにかなり複雑。この共存をどう考えるかっていうベーシックな点を理解しないとピラー1はよく分からないだろう。OECDのことばを借りると、この共存は「Overlay」となるけど、個人的には「Overlap」という方が実態に近いと感じている。ピラー1では、多国籍企業が認識する所得のうち、市場国が市場として課税できる金額をAmount A、B、Cと3部構成にしている。まず、重要なポイントは、A、B、C、というピラー1が議論している所得は、「市場国が市場として課税できる所得のみ」の話しだっていう点。多国籍企業の全ての活動から生じる所得が全てA、B、C、で構成されている訳ではない。すなわち、A+B+C=100とか単純な数式は成り立たない。ちなみに日本語では所得A、B、C、っていうこともあるようだけど、ここでは原文通りAmount A、B、Cとしておく。
で、後日詳しく触れるけど、Cは既存のALP、Bも計算法こそシンプルにしているものの概念はALP。すなわち、大概において従来の国際課税システム下でも市場国は市場として既にAmount BとCは課税できていることになる。Cに関しては実際に課税しているか否かは別にしても、既に従来の国際課税インフラ、すなわちALPで課税できる仕組みになっている。この点は実は重要で、BとCは、仮にピラー1が瓦解し、合意に達することができなかったとしても、関係なく市場国は同様の金額を課税する権利を有する。米国によるMarket Intangibleに基づく超過利益の一部を自国で課税しようとする動きは既存のALP下での話しだし、Amount Cとはまさにそのような所得をカバーしようとしているものだ。
企業活動は市場国における販売だけではなく、他にも製造活動やR&Dその他の機能・リスクに対応する所得がいろいろとあり得る。Amount BとCが従来の考え方でも市場国が市場として既に課税できているのが原則だとすると、これにグループ内の各事業主体が認識する市場国の市場として課税対象とは関係のない所得を足すと、既存システム下での、多国籍企業グループの所得合計となるはず。すなわち、グループ全体の所得を100とすると、B+C+市場国の市場としての所得とは関係ない所得=100になるはず。あれ、Amount Aはどこ行っちゃったの、って思われたら、そこがピラー1の恐ろしいところ。Amount Aは既存のシステムでは誰かが既にどこかで知らずに認識している所得の一部になるからだ。
このAmount Aこそが物理的存在があってもなくても新たに市場国に課税権が与えられる金額で、ピラー1の神髄的な金額だけど、従来のALPと異なり事業主体・PE単位ではなく「グループ全体」の所得を基に算定するっていう点が最初の最重要ポイント。すなわち、ALPは、関連者グループ間でいろいろと協働したり、グループ内法人・PE間でさまざまな取引をしているものを、最終的には各事業主体・PE単位で認識するべき所得を各主体・PEの機能・リスクを基に経済的に算定する。Amount Aは全く違う。Amount Aはグループ全体の所得の一部を人工的に取り出すので、その定義からどの事業主体にも紐ついていないし、誰のものか分からない所得で構成されることになる。
さらにAmount Aの金額算定法もALPとは異なり、各事業主体やグループの機能・リスク、例えば市場国のMarket Intangibleとか、に基づく経済的な所得認定ではない。単純に連結決算書の税引前所得の一部をフォーミュラで超過利益とし、さらに超過利益の一定%をAmount Aとしてしまう。この2点、すなわち、どの事業主体が生み出しているか分からないグループ全体所得の一部である点、また、機能・リスクベースではないフォーミュラベースで算定される所得だという点、はALPの基本的な概念である「事業主体・PE単位の所得認定」「機能・リスクベースの所得算定」と相いれないものとなる。
更に概念的に相いれないだけでなく、さっきの方程式のようにグループの課税所得は「B+C+市場国の市場としての所得とは関係ない所得=100」で既にどこかの国で課税されている、または少なくともどこかの国の所得になっているので、急に空から降ってくるようなAmount Aというのはグループ内の誰のものでもないばかりか、単純に既に100の中に含まれている所得の一部を再度人為的に、というか無理やり取り出していることになる。すなわち、このまま放っておくとAmount Aというのは各市場国にばらまかれるけど、グループベースで見ると単純にAmount Aの金額だけ二重課税というか、少なくとも課税所得としてはどこかで2回反映されていることになる。しかも、どこで2重になっているか不明なままで。え~、Amount Aは「Reallocation」じゃないの、って思われるかもしれないけど、Reallocationとするには、この重複を何らかの形で処理しないといけない。この重複解消はピラー1のデザインの中でも最重要かつ複雑な検討事項となる。この点は次回以降のポスティングでもう少し詳しく考えてみたい。
ということでAmount Aはほぼ架空の所得で、既にどこかで課税所得になっているはずの金額が再度取り出されている、ってことを冒頭に明確にし、今後の話しに繋げて行きたい。
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