少し前のTwitterの発言に、「バフェットみたいな金持ちは、さんざん金を儲けて最後はそれを寄付に回すようだが、どうせ寄付するくらいなら最初からそんなに金を儲けなければいいのに」という主旨の発言があった。(のちにこれはホリエモン氏の発言であることが判明。)
この発言を読んで、なるほど日本では(と一括りにしてしまうのも問題だが)では寄付っていうとその程度に思われてるんだな、となんとなく妙に納得するものがあった。
うちの日本の家族の寄付に対する考え方などを見ても、寄付したお金は自分のコントロール外にあると思っているようだ。だから町内会の募金が回って来ても、ほとんどの人が無視するという。自分で使途をコントロールできないお金は税金だけでたくさんという思いなのだろう。
アメリカでは、とくに多額の寄付をする人たちは、金も出すけれど口も出す。自分が納得できる目的のためにしか寄付を出さないし、既存の団体で満足できなければ新たな組織を作ってチャリティに励む。税金なら使い道を限定することはできないが、同額のお金を自分が主催するチャリティ団体に寄付すれば、自分の気に入るように使わせることができる。(ベトナム戦争中に反戦主義者たちは国防費に相当する部分の税金を割り引いて納税することを試みたが、結局皆裁判に負けて、追加納税させられる羽目になった。)
寄付をもらう側は、ドナーを納得させるよう、これはこれで結構エネルギーを費やす。大学の研究施設というのはお金をもらう方の立場だから、ときおりドナーの見学ツアーやディナーパーティーがある。シカゴにいた頃は、上司のポジションをサポートしていたお金持ちご一家とランチに呼ばれたこともある。(なんでもそのご一家は夫婦そろって某有名投資会社の重役だったのが、親戚ががんと診断されたのを機にリタイアし、投資会社時代に荒稼ぎした資産と経営手腕をチャリティの経営に向けているということで、お子様方のナニー連れでお出ましになった。)
寄付に任せておくと、特定の分野にばかりお金がいってしまうという批判はもちろんある。たとえば、同じがんでも乳がんは寄付が集まりやすいが、肺がんは(がんになるのは喫煙が原因であることが多いから、自業自得だということで)お金が集まり難いという。しかし寄付の背後にあるメンタリティを知ることなしに、アメリカの寄付を理解することはできないと思う。
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